皆さまごきげんよう!
今日ご紹介するのはJ.ブラームス作曲、交響曲第4番ホ短調作品98です。
久々のオーケストラ編成の曲紹介、このブログを始めたときから「いつかは自分の言葉でこの曲の魅力を伝え切らねば」と思っておりました。ようやくそのときが来たのですね……!(うまく伝えられるかしら…?)
作曲者のブラームスといえば、作曲するのに20年掛かったと言われる傑作「交響曲第1番」や、三大レクイエムに数えられる「ドイツ・レクイエム」、これまた三大協奏曲に数えられる「バイオリン協奏曲」、さけるチーズのCMでおなじみ「ハンガリー舞曲」など、代表曲には枚挙に暇がない大作曲家です。
ブラームスのイメージはというと「偏屈で頑固な、立派な髭のおじいさん」という方も多いでしょう。
しかし彼もまた私たちと同じように純真無垢な子供時代があったのです。そんなブラームスの人生を、まずはこのブログらしく妄想たっぷりにご紹介してまいりましょう。
J.ブラームスは1833年、ハンブルクのコントラバス奏者の父と仕立て職人の母の間に生まれ、幼少期から労働者階級の苦しい生活を強いられ、港の酒場や娼館で一晩中演奏をして家計を助ける健気な少年でした。
自分のピアノを聴いている人なんか一人だっていやしない。昨日弾かされた曲なんか最悪だった。雰囲気だけの退屈な曲ばっかり。孤独で退屈で、今日を生きるだけで精一杯。おまけに近くで大人の生々しい現実を見せつけられる毎日。
早く…大人になりたい……
そして、そうならざるを得ない少年時代だったのでした。
そんなブラームス少年、マルクゼンというピアノ教師に出会い、ベートーベンやバッハの音楽を叩き込まれることで運命が転がり始めます。
ブラームス少年にとってそれは、古典派の巨匠たちの音楽から聞こえてくる独り言、憧れの大人になるためのヒント。今まで演奏してきたような、ただ消費するだけの音楽とは決定的に違う何かがありました。
それはときに小説のようであり、手紙であり、風景写真であり、そしてまだこの世に表現する言葉のない感情までも描写してしまう魔法の鏡となり世界のすべてを、すべての答えを映してくれるのでした。
そして何より、孤独から解放される彼らとの音楽の対話は、ブラームスにとって何にも代え難い至福のときであり、いつしか彼ら古典派の音楽は、苦しく孤独で寄る辺ないこの娑婆世界の中で唯一信じられる心の拠り所、そしてかけがえのない心の師となっていったのです。
「心の師」。
私にとっても心の師は、まだ自分の世界が狭く正解が少なく感じられる多感な青少年時代を支えてくれた存在、生き方に答えの一つを示してくれたかけがえのない存在でした。
私には、ブラームスにとっての心の師の立ち位置こそが、ここまで古典に執着し作品に昇華しようとしてきた理由の一つなのだと、よく理解できます。
ブラームスの生きた時代は「自身をさらけ出し、感情をダイナミックにストレートに表現する」ことを求められるロマン派音楽全盛期、それもワーグナーやリストなどキラキラ派手で大衆的で下世話なテーマを題材にした音楽、誤解を恐れず換言するならば、音楽の表現する“色”を黄色や紫、ド派手なピンク色にして雰囲気全体で盛り上げる手法が大いに流行した、そんな時代でした。
なんて破廉恥な……若いブラームスはそう思ったに違いありません。なにしろブラームスの崇拝する古典派音楽は形式がすべて。色も派手さも必要ないのです。
しかしブラームスは古典音楽の手法を勉強するうちに、あることに疑問を持つのです。
“じゃあ古典派音楽は、本物の完全無色なのだろうか?”
答えは明白でした。いえ、無色でありたいとまではブラームス自身も思っていなかったのです。
「そうか、じゃあ高貴なグレー、後ろ向きな茶色、最後の最後にだけきらりと輝くいぶし銀を磨き上げていく、そんな音楽があったっていいじゃないか。」
そうだ、僕の傾倒する古典の手法でこの時代に合った音楽を作ってみせる。それはブラームスの作曲家としての覚悟であり、次第に誇りとなっていくのです。
恩師シューマンに見初められた20代から、音楽芸術の頂点たる交響曲を作曲できる程に自信をつけるまで30年、気付けばブラームスは50代を迎えていました。
40代で亡くなった恩師シューマン、50代で亡くなった心の師ベートーベンを思うと、ブラームスはどうしても自らの死についても考えざるを得ない年齢になっていました。
今の時代を生きる自分に、いったい何が遺せるのか。
ベートーベン先生の代表的なテーマをひとしきり表現してしまった今、自分は何を描き忘れているのか、何を忘れていることにモヤモヤしているのか。
古典音楽の巨匠達との音楽の会話をしていたあるとき、とある曲の前で手が止まりました。
バッハの《シャコンヌ》(無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番)。
https://m.youtube.com/watch?v=vhOaS_Cy8_8&pp=ygUUYmFjaCBjaGFjb25uZSB2aW9saW4%3D
この曲をブラームスは以下のとおり評しているそうです。
「この曲の中には、人間のあらゆる悲しみと喜びが込められている。」
孤独。
人生。
別れ。
誇り。
ひとりで生きていくという覚悟。
そうだ。これしかない。伝えなきゃいけない、いまの僕の人生観。先生方が皆そうしてきたように。この長い人生が終わるときに何が見え何を感じるのだろうか。
ブラームスはそうして、自身の集大成とバッハ音楽のリブート(再解釈)というこのビッグプロジェクトに没頭していったのでした。
そんなブラームスが自らの集大成のつもりで紡いだ全4楽章からなる交響曲第4番とは!
ではここからは各楽章についてご紹介してまいります。
第一楽章:アレグロ・ノン・トロッポ(快活に、でも早すぎず)
ホ短調、古典的ソナタ形式を厳格に守った、構築美が光る楽章です。
しかし、ブラームスがここまで古典的なソナタ形式を厳格に守り、単純なモチーフを展開していくことにこだわったのはなぜか。
もちろんそれがこの世で最も美しいものの一つだから、ということはあるでしょう。しかし今ひとつ、ブラームスの心の奥底が鮮明に見えてこないということもポイントとして挙げられるように思います。ブラームスは美しく堅固なソナタ形式の蓑を被せて、本当に言いたかったことを最後のコーダに隠しておいたのです。
物語は、ずっと沈黙していたティンパニが登場する後半に動きます。心臓が「運命の鼓動」を打ち、段々と気持ちが抑えられなくなっていくのです。
…本当はすごく寂しいし、孤独だし、一人で生きるのは死ぬほど辛い。本当はみんなと笑い合いながら好きな人たちに囲まれて穏やかな最期を迎えたい。
……ひとりは、嫌です………。
しかし目に浮かんだ涙を拭って背中を向け、一瞬空を仰ぎ、大きく息をついて力強く前を向き、誇り高いホ短調で曲を終えるのです。
あぁ、ブラームスのおじいさん、そんなに自分を追い詰めて心を閉ざさなくてもいいんだよ、あなたの本当の気持ちを聞かせて、と思わず声をかけたくなってしまう、
そして「これがロマン派だよなぁ…」と感情移入せずにいられないのが、この第一楽章なのです。
第二楽章:アンダンテ•モデラート
ホ長調の緩徐楽章です。
冒頭ホルンと木管楽器による教会的な響きの後に奏されるゆっくりとした六拍子の音楽は、船を漕いで小波に揺られているような気持ちにさせてくれます。
日本でも死者が渡る三途の川は船に乗って渡ると言われていますが、ヨーロッパでも死後の精神の旅を「航海」と呼ぶことがあるそうです。
それは例えば、かの有名な映画シリーズ「ロード・オブ・ザ・リング」の最終章「王の帰還」で、ビルボがエルフに招待されて不死の世界へ船出する、というような場面に現れているかもしれません。
この楽章が「永遠の世界に向けた船出」を表しているのかは知り得ませんが、自身の死を見据えていたブラームスが死ぬ前に言いたかったことは、長い長い旅の最後に、温かい慰めと安らかな終わりがありますように、という願いなのかもしれませんね。
第三楽章:アレグロ・ジョコーソ(陽気に、快活に)
ブラームスにしては驚くほど明るく華やかで快活なハ長調のスケルツォです。
終楽章のテーマを際立たせるために第3楽章で正反対のものを描くというのはよくある手法で、終楽章の描いているものを考えると自ずと答えが見えてくるのですが、そうすると死について考えていたブラームスがこの楽章で描いたのは、有り体に言うと「生きる喜び」、あるいは「人生で楽しかったことの全て」というところでしょうか。
それでもベートーベンの交響曲第7番のような“ほとばしる”とか“煮えたぎる”みたいな抑えられない青春の衝動というよりかは、どこか地に足がついていて自制しているようにも聞こえます。それはブラームスの陰の部分なのか、ただ不器用なだけなのか、私たちには分かりませんが、私は不器用なブラームスの、精一杯の、等身大の喜びと解釈する方が愛らしくて好きです。
そうしたこの第3楽章の注目はなんといってもトライアングル。この色彩を意識したオーケストレーションはそれまでのブラームスの交響曲では異例とも言えるもので、ブラームス自身も「これはトライアングル協奏曲だよ」と冗談を言ったとも伝わっています。
ブラームス以前に交響曲でトライアングルを取り入れた作曲家は多くありません。ハイドンの交響曲第100番《軍隊》やベートーベンの交響曲第9番《合唱付き》はいずれもトルコ風行進曲の中で登場するに過ぎず、色彩的なアクセントとして交響曲に使ったのは恩師シューマンの交響曲第3番《ライン》が最初とも言われており、交響曲という音楽芸術において、あのブラームスがここまで色彩を意識するなんて!まるで彼のライバル、ワーグナーみたいじゃないか!と当時は驚きをもって受け入れられたそうです。
しかし一方で、ブラームスが楽しかったことを考えたときに、シューマン先生のことを思い出して作品にオマージュしてると考えるとすごく胸が熱くなりませんか?私には、早くに精神を病み病気で亡くなった恩師に対する「ありがとう」に聞こえてならないのです。そして先生と話すときは必ず、とびきりの笑顔でなければならないのです。
先生、お元気ですか。思えば先生の年齢も越え髭も皺もすっかりこの有様です。
最近、先生と奥様と過ごした楽しかった日々を思い出すことが増えました。夜ベッドに横になり一人になると、どうしても涙が止まらなくなる時があるのです。寂しくて、孤独で……僕はこの生き方で合っていたんでしょうか?
……先生?あぁ、先生にお会いしたいです。お話ししたいことが山のようにあるのです。でも今日はここまでにします。
先生、ありがとう。さようなら!またいつの日か!
第四楽章:アレグロ・エネルジコ・エ・パッショナート(力強く、情熱的に早く)
ブラームスが自らの集大成として作曲してきたこの交響曲第4番のフィナーレ(終楽章)で勝負してきたのは、バッハの時代(17世紀)の変奏曲形式であるシャコンヌ(パッサカリア)でした。ブラームスは交響曲にシャコンヌを取り入れた最初の作曲家となったのです。
シャコンヌといえば、最も著名なのはやはり先掲のバッハ作曲「 無伴奏バイオリンのためのパルティータ 第2番 二短調 BWV.1004 より《シャコンヌ》」。
ブラームスは、自身が最後に描いてみたかったことをシャコンヌに託し、偉大なるバッハ先生の芸術を現代に蘇らせる史上初の壮大な試みに挑戦したのです!
そこで主題(テーマ)に採用したのはバッハのカンタータ第150番「主よ、われら汝を求む」に由来する8小節の低音主題、これを30もの変奏で展開するのですが、この展開の仕方も先掲のバッハのシャコンヌとよく似た展開で、中間部に息を呑むような美しい慰めの長調のバリエーションを挟んでいます。ここで登場するのが、ベートーベン先生が「神の声」と呼び愛したトロンボーン。もう、どれだけ好きなんだよ、と思わずツッコミを入れたくなるほどの心の師へのラブレターです。
演奏によっても色んな解釈ができるこのフィナーレ、皆さんの心にはどのように響くでしょうか。
私の好きなジュリーニ×ウィーンフィルの演奏は私にこんな風に語りかけてくるのです。
「この先どんなに辛いことが起こっても、私は一人で生きていく。たった一人でね。それが私の誇りなのだから。それじゃあ皆さん、ごきげんよう。」
心を深く閉ざして誇り高く一人で生きていく覚悟を決然と、しかし一方的に締め括っているように感じさせ、とても心に迫ってきます。天涯孤独の50代男性が心を深く閉ざす時はこんな音がするのか、と身が引き締まるのです。まさにロマン派らしく自身をさらけ出した高貴な高貴なパープルゴールド。
トロンボーンによる神の声が慰めのコラールを歌った後は、人生が、残された時間が、先に逝った大切な人たちの声が、そして愛すべき生涯の友である「孤独」がめくるめくシャコンヌの変奏となって頭の中で自分を掻き立て急かし、ティンパニが鳴らす「運命の鼓動」とともに逃げも隠れもしない堂々たる主和音のホ短調で劇的に締め括るのです。
それはブラームスの諦観であり、誰にも邪魔されない精神の境地、言うならば彼が到達した男の生き様なのです。
あぁ、これ以上に悲しくもカッコいい男の人生の見せ方があるでしょうか。この高貴な紫色の、燻し銀のような渋みに、同じ男として惚れ惚れしてしまうのです…!
この交響曲第4番を作曲した後、ブラームスはこの交響曲第4番が自身の最高傑作だと言い、「もう言いたいことはすべて語り尽くしてしまった」と長く作曲をやめてしまいます。
それくらい、彼はこの曲で全てを言い切ったのです。自らの魂を賭けて。
ブラームスのこの内向きで劇的な感情表現に、聴く者としては寂しくもなりますが、彼はようやく全部言い切って満足できたのです。古典派に救われ魅せられ、常に正解を求め続けてきた自らの人生に、ようやく自分で納得できる答えを出せたのです。
だからブラームスのおじいさん、ありがとう、お疲れ様でした。あなたの芸術は150年後の日本の平凡な30代の男の子の中に、今もずっと輝き続けてるよと、いつか伝わりますように。
ブラームス作曲「交響曲第4番ホ短調作品98」。永遠に生き続ける心の師へのラブレター。それは辛く苦しい現世を生き続けていく覚悟を伝える大きな器となり。
皆さんの心にもブラームスのおじいさんの言葉が届きますように。
https://m.youtube.com/watch?v=z6yFtVc-5mA&pp=ygURYnJhaG1zIHN5bXBob255IDQ%3D


