皆様はじめまして!ごきげんよう!
実はワタクシ、趣味でオーケストラをやっておりまして。先日の演奏会でちょろっと書いたラフマニノフの交響曲第2番の曲紹介を読んでくれた友人がフルバージョンも読みたい!てかもっと色々読んでみたい!と言ってくれまして。
それがとっても嬉しかったのです。
というわけで、これからクラシック、ミュージカル、映画、ポップス、ワタシの心の鐘を打ってきた色んな音楽を、演奏会の曲紹介の体で遺していくことにしたよ!
ネットで得られるレベルの知識を妄想で大いに補完して独自に咀嚼しておりますので、音楽理論や通説についてはほぼ無視しております!のでプリーズご容赦。
さて、記念すべき初回はこのブログのきっかけとなったこの曲。ラフマニノフの交響曲第2番ホ短調 作品27。ロシア交響曲の傑作です。供養のつもりで書いてます…!南無!気に入ってもらえると嬉しいなぁ……!
「きのう、ヴィヴァルディ先生が亡くなったと、アンナ・マリーアが泣きながらわたしのところへ来た。」
とは、直木賞作家・大島真寿美さんの著書「ピエタ」の冒頭です。まるでヴィヴァルディの美しい音楽が聞こえてくるような静かで豊かな表現、ヴェネツィアの美しい街並みを感じられる細やかな筆致のことを私が思い出したのは、数年ぶりにラフマニノフの交響曲第2番と向き合った時でした。
嫌い、でもやっぱり好き。どうしよう。怒ってる、でも嬉しい。なんて言おう。素直に言いたい、でも言えない。懐かしい、でももう戻れない。
そんな湧き上がる感情が、揺れ動く感情が、時に手紙のように他人行儀に、時に訴えかけてくるように激しく、時に少年のように無邪気に、私たちに語りかけてくるのです。
作曲と執筆とは、本質は同じなのかもしれません。それならこの物語の導入はそう、さしずめ、こんなところでしょうか。
「奥様、ラフマニノフ先生からスコア(楽譜)が届きました。これは…先生からのお手紙なんでしょうか……」
「まあ先生ったら、うっとりする様な、長い長い夢を見ていらしたのね。」
このラフマニノフの交響曲第2番はコントラバスとチェロによる、印象的な語りによって始まります。皆さんにはどんな情景が見えてくるでしょうか。
例えばこう。寒い冬の日の薄暗いロシア正教会。祭壇からは荘厳な男声合唱が聞こえてきます。
弔いでしょうか。しかし今夜はとても冷えます。
椅子に腰かけ、聖歌をぼんやり聴きながら、虚ろな目でイエス・キリストが磔刑に処される祭壇画を眺めていると、
懐かしく愛おしい思い出や悔やまれることがどうしようもなく思い出され、どうにも涙が溢れて止まらなくなってしまいます。
……どうして。ああ、どうして。
またある人はこんな情景が見えてくるかもしれません。
音のない不気味な夜、暖炉の暗い灯りの前で、ひげを蓄えた老紳士が、こちらを真っ直ぐに見ています。
ほれ、そこの若いの、わしの話を聞いていきなされ、と。
「……わしにも昔は20代の若造じゃった頃があった。ロシア革命の火種が其処彼処にくすぶっている、暗く厳しい時代じゃったが、若い魂には、あぁ、それは…それは楽しい時代じゃった……」
暖炉に火をくべ、熱いお湯を沸かして、老紳士は昔のことをぽつぽつと語り始める……
ラフマニノフはこの曲で何を描いたのか、何を伝えたかったのか、答えはオーケストラの語りが、観客の耳に、心に響いた瞬間に完結します。皆さんには、どの楽団の演奏でどんな物語が聞こえてくるか、いつかこっそり教えてくださいね…!
では、ここからはラフマニノフと各楽章についてご紹介いたします。
ラフマニノフは、とても優れたピアニストであり、指揮者でした。作曲家としてはチャイコフスキーを目標と仰ぎ、大学卒業後22歳で交響曲第1番を発表するも酷評を浴び、もともと繊細だった彼はすっかり精神を病んでしまいます。
精神科医の勧めで作曲したピアノ協奏曲第2番が評価され作曲家としての自信を取り戻すと、33歳で作曲したこの交響曲第2番で、ピアノ協奏曲第2番に続き2度目のグリンカ賞を受賞します。
この曲が作曲された頃のラフマニノフは、妻・ナターリヤと結婚し2人の娘を授かるなど、公私ともに非常に充実した日々を過ごしていました。そんなラフマニノフが描いた交響曲第2番の世界とは…!
第一楽章 序奏付きのソナタ形式
冒頭に演奏するコントラバスとチェロによる旋律が、第四楽章まで様々に形を変えて登場しますので、よく覚えておいてくださいね。
ラフマニノフは、前奏曲「鐘」や合唱交響曲「鐘」など、教会の鐘が着想の源泉の一つだったと言われています。
この交響曲第2番では銅鑼やチャイムといった鐘を思わせる打楽器は登場しませんが、第一楽章の中盤にティンパニと金管楽器によって、鐘を思わせるコラールと、印象的なオクターブのフレーズが登場します。
ここから物語は啓示を受けたかのように劇的に展開し、第一楽章で最大の盛り上がりに達していくのですが、その様子はおよそ筆舌に尽くしがたいものがあります。頭の中には大小様々な鐘が鳴り響き、心は平静を保っていられず、身体中の毛穴が開き、涙が溢れて止まらなくなっていくのです。
…わかってる……わかってるけど…ああもう!……どうして!!
それから、お話の繋ぎ目にちょこちょこ登場する、クラリネットによる柔らかな気配の正体は、このあと第三楽章までのお楽しみです。
第二楽章 スケルツォ
コサック風の騎馬リズムの先導で現れる、ホルンによる旋律に注目です。
この旋律は、ラフマニノフが生涯にわたって数々の作品に引用し続けた、グレゴリオ聖歌の「ディエス・イレ(怒りの日)」の旋律です。「怒りの日」とは、キリスト教における終末思想の一つで、天国に行けるか、地獄に行くか、その最後の審判が行われる日のことを言うそうです。
一般的に、この「怒りの日」を引用する際は、死を連想させる場面が多いのですが、この第二楽章では前進する強いエネルギーを引き出すきっかけのように使われているのが面白いですね。
ちなみにワタシには、色んな壁に対峙し、迷い悩みジタバタしてみる様子が想起されます。「どうする家康」ならぬ「どうするラフマニノフ」と。
第三楽章 三部形式
交響曲第2番で最も有名な曲、これぞラフマニノフという、長く甘美な無限旋律は本当に美しく、幸せな夢の中に落ちていくような多幸感を是非味わってください。世界中のクラリネット奏者が憧れる名旋律に、要注目です。
ロシア人の国民性といえば、仏頂面だが、とても親切で、少しシャイ、というのがあるそうです。そんなロシア人が作ったこの曲を、「アイラブユー」を「月がきれいですね」と訳してしまう日本人が聞くとどう感じられるでしょうか。まん丸の月を眺める二人の姿か、あるいは敬虔なキリスト教信者による涙ながらの告白か。それとも。
ちなみに、曲の作りとしては、曲の終盤、ドミネ(主)を意味するDのニ長調に収斂していく(天上の世界へ昇っていく)という、すこし宗教的なつくりになっているそうです。
第四楽章 ソナタ形式
あたり一体は喜びと活気に満ち溢れた賑やかなお祭りです。一楽章から三楽章までに登場した各種旋律を引用する手法はロシア交響曲の伝統なのだそうです。演奏者にとっては、最後の最後にかなり体力を消耗する楽章となっていますが、この第四楽章がこれだけ明るく長い曲になった理由を、少しでも感じていただけたら幸いです。
ちなみに、曲の締め括りの“ダダダダン”は、憧れのチャイコフスキー先生の交響曲第5番へのオマージュ(運命の主題)とも言われています。
33歳のラフマニノフが描く、これが運命。これが人生。