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弦楽四重奏曲第6番(F.メンデルスゾーン)の世界!

皆様ごきげんよう!(お久しぶりです。)

今日は最近好きでよく聞いている曲をご紹介しようと思います!メンデルスゾーン作曲「弦楽四重奏曲第6番ヘ短調 作品80」です。

 

ごめんなさい、「おカタい純クラシック曲」ばかり紹介してしまって。
でも、やっぱりクラシック曲には、ぜひ聞いて共感してもらいたいテーマがあるんです。とても純粋な、人間の心の動きが。

 

例えばそう、
「若くして亡くなってしまった大切な誰かを偲ぶとき、人は何を考え、自らの人生に何を思うのか。」

 

自身に起こった悲劇に際し、このテーマと向き合い作品に昇華したのがフェリックス・メンデルスゾーン
彼はクラシック史上に残る稀代のメロディ・メーカーで、東の横綱・歌曲王シューベルトと並んで西の横綱と称されることもあるそうです。

まずは、そんなメンデルスゾーンの代表曲、歌曲「歌の翼に」をお聞きください。

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ああ、なんという美しさ!

流麗で、上品で、洗練されていて、無駄がない感じ。これこそメンデルスゾーンの真骨頂なのです。

その才能は、序曲「フィンガルの洞窟」や交響曲第3番「スコットランド」など、特に風景を描いた作品で開花し、一方で「風景画家」「上品ゆえに中身が薄い」と揶揄もされてきました。

 

さて、今回紹介する「弦楽四重奏曲第6番ヘ短調 作品80」は、そんなメンデルスゾーンの作品群にあって、ひどく内面的で感情的な、かなり異色の作品です。

 

それではまず、作曲者のフェリックス・メンデルスゾーンの生涯についてお話ししましょう。

 

メンデルスゾーンは、貧しい幼少期を過ごした多くの偉大な作曲家と違い、裕福なユダヤ人の銀行家の家庭で育ちました。

時代は1800年代のドイツ。私たち日本人には分からない歴史観ですが、「ユダヤ人の銀行家」というだけで差別・迫害された時代でした。

恵まれた環境ながら、生きにくかった幼少期、フェリックスは、自然と同じ音楽の道を志した姉ファニーのことを慕うようになり、姉ファニーもまた、弟フェリックスを可愛がるようになります。

 

ー2人が築いた姉と弟の絶対的な姉弟愛ー

どんな差別や苦しみも一緒に乗り越えてきた二人には、他の誰よりも共に時間を過ごし、他の誰よりもお互いを理解し、他の誰よりもお互いを想っている自信がありました。
二人は最初から、音楽で繋がっていたのです。血縁だけでなく。音楽で会話し、音楽で心を通わせる。
この悪意に満ちた芸能の世界を生き抜く上で、それがどれほどの心の支えとなってくれたでしょうか。

後に姉も弟もそれぞれ結婚するのですが、それでも姉弟の愛は変わらなかったと言います。

二人だけの姉弟愛、二人だけの世界。それはもはや自分の一部。そして永遠に続くもの。二人とも、ずっとそう信じていました。

 

さて、時は流れ神童として名を馳せた弟フェリックスは指揮者•作曲家として成功して名声を手にし、気付けば38歳になっていました。

1847年5月のある日、そんな売れっ子になった多忙な弟のもとに、ある知らせが届きます。

……それは、姉ファニーの突然の訃報でした。
脳卒中、演奏会に向けて弟の作品をリハーサルしている途中の、突然のことだったそうです。

 

…………………

38歳の若い魂が受けたショックはどれほどだったでしょう。
どんなに音楽で語りかけても、もう姉から返ってくるものは永遠にないのです。
それはまるで失明や失聴のような、自分の一部がなくなってしまうような感覚。二人だけの絶対不可侵の安全領域が永遠に失われてしまった瞬間でした。

「音楽のことを考えようとしても、まず心と頭に浮かんでくるのはこの上ない喪失感と虚無感なのです。」

フェリックスはあまりの心痛に作曲もままならなくなってしまいます。
弟に連れられスイスを訪れた7月、何日も山を徘徊した後、今度は何日も部屋に閉じこもり、そうして9月に完成させたのが、この弦楽四重奏曲第6番なのでした。

 

大切な人を失い、喪失感と虚無感のなかで稀代のメロディ・メーカーが遺した室内楽曲。

風景画家が描いたこの上ない心痛は、果たして何色だったのでしょうか。

ここからは、各楽章についてご紹介いたします。

※100%筆者の主観です。かなり脚色していますので真に受け過ぎないでください!

 

第一楽章

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チェロとビオラの掻きむしる様な激しいトレモロで幕を開けます。
これが本当にあの、「歌の翼に」のメンデルスゾーン

その様は「激しく取り乱している」とだけでは言い表せない狂気的な何かを感じます。

例えばそれは、黒い鉛筆を雑に握りしめ、真っ白な紙をグチャグチャに塗り潰している様な狂気。

しかし前述のような曲の背景を知ると、「狂気」に思えたものは「深い悲しみ」なのだと知ることができます。

力のこもった手元とは異なり、その目は虚空を見つめている。
そうして心に空いた穴を埋めるみたいに真っ白の紙を塗り潰し続けていないと、まぶたから滲み出る涙が、きっと溢れ出してしまうから。

 

しかし中盤、半音ずつ上がっていく音形に、ついに胸は張り裂け、心は絶叫し、もうどうにも止めどなく涙が溢れてきてしまいます。
バイオリンの高音による絶叫はあまりに痛々しく、ストレートな感情表現で聞く者の耳に、心に深く突き刺さります。

心を支配するこの”何か”が、「悲しみ」とか「絶望」とか、そんな陳腐な言葉で片づけていい訳ない。でも結局、どうしようもなく悲しいし、死ぬほど辛い。本人にも、何が何だか分からないのです。ただただ心が乱れ涙が溢れてくる。
コーダに入るとテンポを上げ、心のシャッターを閉じてしまうように、混乱と絶叫のなか一気呵成にピシャリと曲を終えてしまいます。

どうやらまだまだ、この段階の人には他人の声は届かないようです。あなたなら、この状態のメンデルスゾーンに、何と声をかけますか?

 

第二楽章

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第一楽章と同じヘ短調で、流れる様に第二楽章が始まります。
不安にさせるシンコペーションのリズム、半音ずつ上がっていく伴奏、メンデルスゾーンとは思えない単純なモチーフ。

ああ、このよく分からない焦りと絶望感は何だ。

でも第一楽章のような、激しい絶叫はありません。
一方で、いなくなった姉を偲ぶ心の余裕もない。
何かが過ぎ去って行くのを、ただ耐えて待っているだけ。

最後には、疲れ果てて、言葉もありません。
ひとり下を向いて、歯を噛み締めて、ただ耐えているのです。
ああ、可哀想に。ただただ気の毒で可哀想な第二楽章です。

 

第三楽章

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変イ長調アダージョです。この曲が「姉ファニーへのレクイエム」と言われる所以でもある大事な楽章です。

さて、ここまで二つの楽章で自分を見失いつつ心の内を赤裸々に告白してくれたメンデルスゾーンですが、ようやく姉との思い出に心を寄せ、天国の姉に向けた気持ちを吐露してくれます。

亡くなった人と向き合う心の準備ができたとき、人は何を伝えたいのでしょうか。

「今までありがとう。」という感謝なのか、
「どうして死んじゃったの。」という怒りなのか、
「私を置いていかないで。」という悲しみなのか。

それを表現するのは作曲家というよりは演奏者の方なのですが、今回の演奏者である「Quatuor Ébène」の皆さんは本当に色んな感情を見せてくれています。

 

姉の写真を前に、ひとり静かに語り始めた弟。
楽しかった家族の思い出、いつも自分の一歩前を歩いていた姉のカッコよさ、生前は恥ずかしくて言えなかったことも思い出して話しているうちに、
スビト・ピアノで姉がもう帰らぬ人となってしまったことを改めて思い出し、“悲しみの”涙が溢れてしまいます。

ねえなんで!どうして死んじゃったんだよ!僕は...僕はこれからどうすればいいんだ……

……ちがう!そんなことが言いたかったんじゃない。そうじゃない…そうじゃ……

心を落ち着けて主題が2周目に入ると、涙でぐちゃぐちゃになった顔のまま、でも努めて笑顔のまま、感謝の気持ちと姉の安らかな眠りを祈るのです。

「ありがとう。……ずーっとずっと、大好きだよ、姉さん。」

 

第四楽章

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ソナタ形式のフィナーレです。シンコペーションのリズムモチーフが曲の最後まで貫かれているのが印象的です。

さて、姉の安らかな眠りを祈ることができたメンデルスゾーンは、フィナーレで何を描くのでしょうか。

(本当のところは分かりませんが)
それは「姉亡き後の、この先の私の人生」ではないでしょうか。

 

姉亡き後も、音楽家として生きていかなければならない弟。しかし「音楽のことを考えようとしても、喪失感と虚無感しか浮かんできません。」という弟。

頭の中で響いていた幸せな日々のあの美しい旋律を奏でる小鳥たちは、もう二度と戻って来るとは思えませんでした。

何しろ、姉さんはもうこの世に、僕の近くにはいてくれないんだから。

 

一楽章にあった狂気的な叫びでもなく、
二楽章にあった正体不明の焦燥感でもなく、
三楽章にあった祈りでもない、新たな感情。

 

ふと避暑先のスイスで外を見ると、あのリストも描いた「スイスの夕立ち」、物凄い豪雨と稲妻が目に耳に入ったかもしれません。

 

姉さんのいない世界なんて……絶望だ…

違う。僕は大丈夫なんかじゃない。姉さんを思い出になんかしたくない。僕は全然ひとりでも大丈夫なんかじゃないんだ!

 

中盤からフィナーレにかけて、感情は昂ぶり、閃光が走り、雷鳴が轟き、テンポはどんどん上がり、「もうどうすれば良いかわからないし、誰にも分かってもらえなくて良い」と言わんばかりの決然としたヘ短調で、再びピシャリと心のシャッターを降ろして曲を終えます。

 

さて、この状態の人に私たちは何と声をかけてあげれば良いか。悩みどころです。

だって、時間をかけて本人が気持ちを整理して事実と向き合うしかないのです。

 

しかし、メンデルスゾーンはこの曲完成の2ヶ月後、1847年の11月4日、姉ファニーと同じ脳卒中で姉の後を追う様にして38歳の若さで亡くなってしまうのです。

「疲れたよ。ひどく疲れた。」と言い遺し。

 

なんと残酷な運命。

ここまで知って聞いてみれば、きっともうあなたも、メンデルスゾーンとこの弦楽四重奏曲第6番の虜のはず。

 

「若くして亡くなってしまった大切な誰かを偲ぶとき、人は何を考え、自らの人生に何を思うのか。」

メンデルスゾーンが出せなかったこの問いへの皆さんの答えを、是非私にもいつか教えてくださいね!