皆さま、ごきげんよう!
今回ご紹介するのは、合唱曲「聞こえる」(作詞・岩間芳樹、作曲・新実徳英)です。
今回は初めての試みです。歌詞のある曲、それも合唱曲のご紹介です。
歌詞のある曲を独自に解釈して楽しむって、難しいですよね。いや、独自に解釈は許されない行為なのでしょう。
だって、歌詞っていう答えがあるんですもの。
作者の意図が歌詞という形で明確に理解できる、その音楽の尊さを私なぞがどうやってお伝えできるのか。これは一種の実験です。皆様どうぞお付き合いください……!
さて、今回ご紹介する合唱曲「聞こえる」は、1991年(平成3年)第58回NHK全国学校音楽コンクール高等学校の部課題曲として作られました。
国際紛争や環境問題が連日テレビや新聞で取り上げられていた1990年代、特に天安門事件、ルーマニア革命、エクソンバルディーズ号原油流出事故、ベルリンの壁崩壊、森林破壊などを背景に、世界中で起こっている事件や事故が「見えている、聞こえている、感じている」のに何もできないちっぽけな自分を嘆いている、高校生の等身大の悩みを描いています。
まずは脚本家・岩間芳樹さんが書いた「聞こえる」の歌詞をご紹介しましょう。
「聞こえる」(作詞:岩間芳樹)
鐘が鳴る 鳩が飛び立つ
広場を埋めた群集の叫びが聞こえる
歌を 歌をください
陽が落ちる 油泥(ゆでい)の渚
翼なくした海鳥のうめきが聞こえる
空を 空をください
歩み寄る手に手に花を
歳月こえて壁越しに「歓喜の歌」が聞こえる
夢を 夢をください
こだまして木々が倒れる
追われて消えた野の人の悲しい笛が聞こえる
森を 森をください
時代が話しかけている
世界が問い掛けている
見えている 聞こえている 感じている
だけど なにもできないこの部屋で
膝を抱いてひとりうずくまっている いらだち
教えてください 何ができるか
光っている道を心開いて歩いていきたい
何ができるか教えてください
………………
世界中には歌詞付きの音楽がたくさんあります。それは歌詞付きの音楽にそれだけ力があり、需要があるからとも言えます。
私もベートーベンの第九を歌ってみて初めて感じたのですが、パワーのある作品を歌うって、すっごく気持ちよくて、言ってみりゃ簡単にアガれるわけです。
しかしどういうわけか歌の歌詞って、それだけで読んでも、歌詞が自分の心にダイレクトに届いて自分のものになるには、もう少し時間がかかりそうな気がするんです。
この曲もそう。なんというか、歌詞だけ読んでみても、初めてこの曲を聞いたときに感じた感動が蘇って来ないのです。
それでは次に、この年の第58回NHK全国学校音楽コンクール高等学校の部で金賞(1位)となった安積女子高等学校の皆さんの演奏をお聴きください。
https://m.youtube.com/watch?v=EAgcYDl6SAM&pp=ygUV6IGe44GT44GI44KL44CA5a6J56mN
(映像が古いので少し気が散ります。集中して聞きたい方は音声のみ推奨です。)
……なんて繊細な感情表現なんでしょう。「歌を 歌をください」のなんと詩的なこと。囁くようでありながら、言葉がしっかりこちらに届いて、身体に染み込んでいく感じ。
そうか、そういうことが言いたかったのか!と一発で理解できる説得力が、そこにはあります。
そして何より、この曲の歌詞の持つ日本語の美しさは、高校生が等身大を表現してこそ粒立って輝くのだということに気付かされるのです。
しかし、自分ごとに置き換えてみても、大して共感できる内容の歌詞でもないのです。
だって私の高校時代といえばもっと、部活にのめり込み、友達や先輩後輩との人間関係に悩み、親の小言、受験をはじめとした先の見えない将来と戦うだけでいっぱいいっぱいになっていたはずで、
リーマンショックやイスラム原理主義など世界のどこかで起きている、自分とは全く関係のない出来事だと思って過ごしていたはずなのです。
なのになぜ、こんなにも心を動かされるのでしょう。皆さん一緒に妄想してみましょう。
主人公の少女はどこにでもいる合唱部の真面目な女子高生、きっと朝の学校で聞こえてきたチャイムの音と飛び立つ鳩たちを見て、今朝テレビで見たニュースのことを思い出したのでしょう。
聞こえる……聞こえる……歌を奪われた多くの民衆の声が、テレビのニュース越しに、私の頭の中で。
当時の高校生の多くが自分ごととして捉えられなかったとしても、この曲の主人公の少女には聞こえているのです。
「時代が話しかけている」「世界が問いかけている」、その声が。
そして彼女は、高校生だった頃の私には聞こえていなかった「聞こえないふりをして、ひとりうずくまっている自分の、本当の心の声」を聞こうとしているのです。
「教えてください。何ができるか。」高校生の彼女がその言葉を口にできるようになるのに、どれだけの時間と勇気が必要だったでしょう。
そして「光っている道を心開いて歩いていきたい。」これが未熟な高校生の彼女に出せたギリギリの語彙だったのです。
そして結局、昨日までと何も変わらない明日がまた彼女に訪れることを知り、また膝を抱きひとり下を向いてしまうのです。
ここまで来ると、自分の高校時代を思っても全く共感できない悩みだったはずなのに、どうしてか涙が込み上げてくるのです。
何か、何か声をかけてやりたくなるのです。
僕だって、大人になった僕だって、結局何もできていない。今でもその助けを呼ぶ声が聞こえているはずなのに何もできていないよ、と。
でも、だから悩まなくて良いよ、と言ってしまって良いのか。
だって何もしなくていい訳じゃないことは誰もが感じてることなんですもの。
時には自分本位になって怒り狂う日だってある。自分なんか誰の役にも立ってないんじゃないかって悩む日もある。
でも明日は誰にも容赦なく訪れる。同じ様に誰かのために何もできない明日が。
しかし今の僕はもう、無力な自分を嘆いたりしないのです。
それは、自分が何者でもないことをあるとき悟ってしまったから。
大多数の人が、それが大人になるってことなんだと気付き、何かを諦めて生きていくんだと知ってしまったから。
でも、その他大勢の平凡な自分でも目の前にある今を必死に生きていけば、到達できる場所がきっとあるって願っているから。
何者にもなれなかった大多数の大人が、何者かになろうともがいて苦しんでいる高校生の姿を見て心を打たれる理由が正にここにあると言えます。
「目の前の今にぶつかって、力いっぱい悩んでみなさい」
大人になった私たちは、そう彼女に声をかけたくなってしまうのです。
レモンみたいにギューって絞って、でも何も出てこなくて、それでも絞って絞って、やっと滲み出てきたたった一滴にこそ価値があるのだと。
彼女に、いえ、本当は当時の自分に声をかけたくなってしまうのです。
「教えてください、何ができるか」。その答えを自力で見つけてみなさい、と。
(以上、拡大解釈&私見でした。)
さて、そんなメッセージを伝える「聞こえる」の世界、作曲という形で盛り上げているのが現代合唱曲の大家・新実徳英先生です。
この曲が音楽で語られる時に必ずトピックに上がるのが転調です。
ト長調で始まり、変イ長調、イ長調と半音ずつ上がっていくことで気持ちが高まっていきます。切迫感なのか、焦りなのか。それは歌い手の解釈と表現次第。
嗚呼、音楽を解釈して表現するって本当に楽しい!
変イ長調の段「歩み寄る手に手に花を」からは合唱とピアノで主役が入れ替わり、合唱はオブリガート(対旋律、裏メロ)を、ピアノは主旋律を八分音符の刻みに変えてリズムの盛り上がりを演出します。
そして「時代が話しかけている」のところで誰にも一番馴染みの深いハ長調、最後は冒頭と同じト長調に戻り、結局何も変わらない自分の世界をピアノの優しい三連符と穏やかなハミングで嘆くのです。
舞台を一本見ているかのような目まぐるしい展開はコンクールの課題曲らしく技術審査のためという側面もあり、それが高校生の不安定で未完成な心の根っこと自ら動かなければ何も変えられない残酷なこの世界を見事に音楽で表現しているのです。
それでも決して短調にならない優しい世界観は、新実先生が大人の役割として高校生に用意した、「今のこの時代は大人の私たちに任せなさい」というメッセージなのかもしれません。
岩間芳樹作詞、新実徳英作曲、合唱曲「聞こえる」。悩める少女に向けた、大人からのメッセージ。
君が大人になるまで、世界はきっと待ってくれる。だからいっぱい悩みなさい。いろんな声に耳を傾けてみなさい。この世界も案外悪くないって思える、その時まで。